「自己評価が低い」に昔の自分を懐かしく感じた日
こんばんは、ムキムキじゃないキムです。
最近全く書けていなくて、でも日々まあまあ感じることはあって
上手じゃなくても少しずつ外に出していきたいなぁと感じるこの頃です。
今日は、ついこの前、昔の自分を思い出すきっかけがあったので
その時のことをここに残しておきたいとおきたいと思います。
(夜に書いたため長くなってしまいました。。。)
ざっくり言うと、思うこと2つ書いていきます。
・自分を正しく評価することの難しさ
・「何ができる人か」と「どんな人か」
ベンチャー企業に転職してから1年ちょっとが経ち、会社に新しいメンバーが入ってきてチーム感が出てきたことに何だかんだ楽しんでいます。
そこには大学生もインターンとして加わってくれています。
先日その大学4年生のインターンの子と話をしていたとき、
「仕事全然できてなくて中途半端で、わたしダメダメで...」と言いながら涙をこぼしたんです。
自分すごいじゃんってなる時がなくて、いつまでたってもネガティブで。
今のできていない自分が悔しくて、でもこのままじゃ嫌で。
これを聞いて、彼女は自己評価がめちゃめちゃ低いんだなと思いました。
入社前も「自分で自分を認めてあげられない」という話が出ていた彼女。
彼女は客観的に見てかなり仕事ができるし吸収もしてる。
どんどん色んな分野で活躍してくれているし仕事が早い。
周りからの評価も高い。
なのに、自己評価がとても低い。
この状況を見ていて、昔の自分を見ているような気持ちになりました。
私もそうだったな。
どんなに頑張っていても
「もっとやれたのに、やれなかった自分はダメだ」
「こんなんじゃ頑張ったうちに入らない」
と、謎にストイックで自分にスーパー厳しい人間でした。
だから他人にも無意識に厳しくてあんまり良い奴じゃなかったと思います笑
今からおよそ1年半前。
次が決まってないまま前職を退職したはいいけれど、なかなか次が決まらずしんどい時期がありました。
かなり辛かったし、焦りました。(ここで初のニートを経験します。)
その時、友人に「今のきむは何点?」って聞かれて
30点とか平気で答えてました。
だって、全然めぼしい企業決まらないし、ニートという何にも属してない自分もしんどかったし、前進している感じがなくてそんな自分にいい点数なんてあげられなかったです。
そしたら
「それさ、本当に30点?本当にきむは何もしなかったの?本当に30点のことしかしてないの?」
って言われたんです。
結果として今出ていなくても、自分がやったことに対しては正しく自分を評価するべきなんだと知りました。正しく自分を評価できないと、いつまで経っても30点の自分と闘いながら苦しまないといけない。
成果として出ているかと、自分が努力して物事に向き合っているかは別で考えて自分の評価を下す。
確かに、今思うとあの時わたしは少なくとも80点以上で毎日生きていました。
でもそれを正しく評価できなかったんです。自分のできてないところにばっかり目がいって、できたことや良かったことが全然出てこなかったんです。
ここ最近で自分の良かったところと課題は?って聞かれたときに
課題はバーって物凄い勢いで出てくるけど、良かったことは1つも思い浮かばないような状態。
それは自分を正しく見れてないんだなと思いました。
もちろん出来てないことから目をそらしてやらなくていいってわけじゃないけれど
良い部分も課題も両方分かっている状態が正しく評価出来てる状態なのかもしれないなと思いました。
だから、話を戻すと
彼女の話を聞いていて、あの時の自分みたいに「自分を正しく評価すること」の難しさを思い出したんです。
そして、この時思ったことがもう1つありました。
彼女の中では
「自分で決めたことを最後までやり切る」こと
「自分ができること、役に立てることを作って成果を出す」こと
で自分で自分を認められるようになりたい、という考えで動き始めようとしています。
前者に関しては、そうかもしれないな〜という私個人の考えもあり応援したいと思っています。
後者「自分ができること、役に立てることを作って成果を出す」ことで自分を認められるようになるか、に関しては
半分くらい信じていて半分くらい疑っています。
・出来ないことを出来るようにすること
・成果を出せる人になること
これ、仕事やスキルアップとしては猛烈に正解だと思うんです。
会社として成果を出す人間が大事なのは150%分かってるつもりだし、そうじゃないと成り立たないことも理解してるつもりです。
でも、私はそれだけじゃ彼女の根本は変わらない気がしているんです。
もちろん会社が悪いわけでは全くないし、むしろ成果を出した結果自信をつけて自分で立って歩けるようになるための最高の場所だとも思っています。
でも、「結果を残せる人間か」だけで常に測られて、というか自分で測っていたら
ものすごーく息苦しいなとも思うんです。
「自分を認める」って
自分が「何が出来る人間か」だけじゃなくて
自分が「どういう人間でいるか」に満足出来たら
何割かは満たせるんじゃないかなと思うんです。
〜の計算が得意、〜が作れる、サッカーが上手とかじゃなくて
誰々〜がいると和む、誰々〜がいるとつっこみたくなる、みたいな
その人がいること自体(存在)やキャラクターが
自分を認めることの何割かを占めていると思っています。
人によってバラバラだと思いますが
「何が出来る人間か」と「どういう人間でいるか」の
バランスなのかなと思います。
キャラクターだけで、出来ないことにたいして努力する姿勢を失うのも違うし
常に何かが出来てないと存在価値がない、と決めるのも違う気がするのです。
仕事や会社では、何が出来るかはそりゃ大事ですよね。
だからこそそこを磨くことができる場所だと思います。
でも、仕事や会社ではカバー仕切れない評価が難しい「どういう奴か」みたいな部分は
別の場所やコミュニティで得たり気づいたり磨いていってもいいのかなと思います。
むしろ、たとえば職場っていう1箇所じゃなくて色んな場所で自分を作れればいいんだとも思います。
私は会社で仕事もしているしNPOで活動もしているので
それぞれで得られるものがあるし、それぞれが自分を形成してくれているなと強く思います。
(それぞれで色んな世界を見るからこそ難しいな、辛いなと思いこともありますが)
彼女にとってもそんな場所や環境、きっかけとなる出会いがあるといいな。